2013年6月12日水曜日

『風立ちぬ』予告編特別フィルム 4分13秒

『風立ちぬ』の予告編としては既に、35秒間のものが劇場で流れていたが、8日土曜から「予告編特別フィルム」と題された、4分13秒のものに変更された。尚、東宝配給とTOHO系では上映後、ワーナー等では上映前に流されている。
※13日(木)より、TOHO系でも上映前に全て切り替えるとのこと。ワーナー等と同じく、本編前の予告枠に収める。
https://www.tohotheater.jp/news/info00000265.html
ここでは記憶と印象のままに、シーンの順序や情景に誤りがあろうかと思うが、感動のままに書いておく。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/gnews/20130611-OYT8T00962.htm
鈴木敏夫のコメント絵。これはジブリの公式サイトで見ることが出来る。
http://www.ghibli.jp/10info/009318.html#more
今からはじまるよ、という親切なお知らせである。多くの観客は、何か普通の予告とは違う雰囲気を感じ取っていた。


軽井沢どこかの保養地だろうか洒落た別荘風バルコニー
どこかからか聞こえるせせらぎと、小鳥たちのさえずり。

たあれが風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木(こ)の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく

風よ翼をふるわせて
あなたの許へ 届きませ

そして紙飛行機が。

荒井由実ひこうき静かにはじまる。メロトロンのようなキーボード

クリスティナ・ロセッティが遺し、西条八十が名訳した「風」の詩を、二郎が静かに詠う。宮崎駿作と思しき一節を加えて。「風」は、草川信に曲をつけられて大正10年6月頃に発表された童謡だから、二郎が口ずさむのも自然だが、ここではあくまで詩として詠んでいる。

汽車が走る。上品な洋装の少女・菜穂子がいる。
大変込み合う列車いる若き堀越二郎飛ばされた帽子を、幼い菜穂子がキャッチし、笑う。
東京はるかに俯瞰する。から波紋が広がっていく
と、家々が飛び出さんばかりに突き上がる波紋が伝わってくるように、手前へとドン、ドンドンと。
この世のどんな音とも似ぬ地鳴りが鳴り響く。恐ろしい速さで瓦の屋根をもつ家々が、波を打つ。まるで生き物のように。

遠くに火災。街が徹底的に破壊されゆくさまを、離れたところに避難した人々が、驚愕と空虚な表情で見つめる。
物凄い群衆の数である
群衆の中をかきわけて走る二郎、幼い菜穂子の手を握って必死にどこかへと連れて行く。人々がうねうねと動く渦を力強く突っ切るように駆けていく。

冒頭と最後に紙飛行機。二階のバルコニーから手と体をいっぱいに伸ばして、二郎の飛ばした紙飛行機を取ろうとする菜穂子。バランスをくずしそうになり、二郎は植栽につっこむ。微笑む菜穂子。


飛行機の製図作業に取り組んでいる人々。大勢が作業室に。ドラフターのような製図台が何列も並んでいる。
戦争の兵器。戦争へ向かっていく、と字幕。

カプローニと少年時代の二郎のシーンは、夢のような色彩で輝く。
カプローニはまるで師のように、親友のように、絣の着物に袴、学生帽に近眼の厚い眼鏡をかけた小さな二郎に、なにがしか呼びかける。

屋外にて制作中に、くずおれた菜穂子。イーゼルキャンバスで、口元を抑えた手から、おびただしい鮮血が溢れ出す。粘性持ち非常に生々しい表現である

療養所のベランダに並ぶベッドに菜穂子たち病人の姿、真上から見るとずらりと吹きさらしに並んでいて痛々しい。寒空の下、毛布のようなものに全身をくるまれ、悲しげに空を見ている。隔離と思われる。


三菱七試艦上戦闘機颯爽と飛びそして落ちる印象的な残骸その前に立つ二郎ポスターアートである。

菜穂子の艶やかに着飾り、長い栗色の髪をおろしている姿が一瞬映る。

菜穂子が飛ばした紙飛行機を二郎がつかむ。「ナイスキャッチ!」
「震災の時、本当にありがとうございました
里見、菜穂子と申します。」一語一語はっきりと誠実話す菜穂子声に打たれた。
美しく、気高く、しかし少しはかなげな声。


『ほかのひとには わからない 
 ……でも しあわせ


追補
録音素材では決して表せない音があった。帰宅して記事を読み直すと、モノラル録音とあった。
たしかにモノラルがこんなに力強いものかと感じたのははじめてだ。
いくつかのシーンで、生々しい効果音が随所に聞こえていた気がする。
大穴が大気を吸い込んでいくような音や、生き物のように機械が蒸気を吐き出す音だ。
それに「ひこうき雲」の鮮烈な歌詞が合わさって、なにかこう、異様なまでの雰囲気をつくりだしていた。
心を鷲掴みにされる曲。
そして瀧本美織の、悲哀が混じりつつ、気品ある柔らかい声。一遍に魅了された。





再び追補、7月4日夜。
一般試写会が開始され、あっという間に映画は遠慮のない批評の俎上に載せられるだろうが、個人的には、せめて封切されてから具体的な感想は書くべきであると思っているので、ここでは抽象的なメモをあげておく。

つくりたいものを映画にした。
人間がつくった映画だ。
作家自身の哲学が、人生が描かれている。他の誰でもない。
ステレオタイプは一つも登場しない。平面的な、物語の道具としてのシークエンスは一つもなかった。
余計な説明はない。詩。この映画は人生の詩だ。
そこに、なぜその台詞があるのか。なぜその人物なのか。なぜその風景なのか。
一切説明する必要はない。美しいものとは、表現であるからだ。

羈絆を破ることが創造性ではないことがわかる。
映画でできること、子どもが見るアニメでも、許される範囲をきちんとわきまえている。それでいて、人生の実際と真正面に向き合う。というより、エログロがあればアバンギャルドなんではないと、思い知らされる。

叶さんの感性豊かな感想ツイートに一旦は納得したが、次の瞬間、いや、ちがう。わたしはそうは思わない、と思った。
映画というものにするなかで、そぎ落とされていくのだ。そういったものが。だから、この映画は、宮崎の創造性を力一杯出して、結晶させた、アニメの枠を完全に飛び越えた、記念すべき金字塔だ。
はじめて日本のアニメーションは、映画になった!



最初から最後まで、風が吹き抜けてゆく映画。
停滞しない。だから絵が常に綺麗に見える。動いている、しかも人間の生理感覚を喜ばせ、興奮させるリズムで動く。
そして構図が大変に美しい。ほぼすべてのカットで見惚れていた。

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